神社由緒

御由緒

欽明天皇(きんめいてんのう)(御在位五四〇~五七二年)の七年頃、笛田村の中園(なかぞの)という処で笛をたしなまれている神が居られ、里人に「我は、神倭伊波礼毘古尊(かむやまといはれひこのみこと)の皇子、神八井耳命なり、我を斎き奉らば里を守護すべし。」と申され、吹いていた笛を投げられました。その笛は北田(現在の神社境内より200~300m西の地に)にとどまりました。

欽明天皇七年(五四六年)九月、里人はここに神殿を造り、その笛を御神体としてお祭りし、笛田大明神と讃えました。

祭式は、旧暦九月十九日、中園まで御神幸(おみゆき)があり、当時は神楽人(かぐらびと)など数十人が奉仕し、流鏑馬(やぶさめ)の奉納等もあり神事が厳かに行われました。神饌田、流鏑田、鏡餅田、土器田などをもち、近郷十数か村の産土神(うぶすながみ)として人々の崇敬を受けていました。しかし、天正年間に肥後の守となった佐々成政が当神社領地を没収しようと神殿に放火しました。その後、加藤清正公が肥後の国守となり入国後現在の地に社殿を再興し、笛田、出仲間、稲葉、八反田、良町、四才町、西無田、小原等各村の総氏神とし、祭式も執り行われるようになり今日に至っています。

笛田神社さくらの季節

御祭神

神八井耳命(かむやいみみのみこと)(第一代神武天皇の皇子) 
比咩命(ひめのみこと)
健盤龍命(たけいわたつのみこと)
阿蘇都比咩(あそつひめ)
神沼河耳命(かみぬまかわみみのみこと)(第二代綏靖天皇) 
五十鈴依姫(いすずよりひめ)
速甕玉命(はやみかたまのみこと)
雨宮比咩(あめみやひめ)
新彦命(あらたひこのみこと)
弥比咩神(やひめのかみ)
若彦命(わかひこのみこと)
吉松比咩(よしまつひめ)

加藤清正公 御手植えの笛田の大銀杏 

熊本市指定保存樹木昭和50年度指定第47号(銀杏4本)

天正十六年(一五八八年)肥後の守となった加藤清正が、佐々成政により焼失した笛田神社を再興するときに植えられたものと伝えられています。
樹齢は約五百年と推定され、春の若芽、秋の黄葉は大変すばらしく、熊本城或いは金峰山からも一望され、地域の人々のシンボルとして親しまれています。


熊本市指定保存樹木第47号大銀杏